幾百年ものあいだ湯治場として親しまれてきた下風呂温泉。津軽海峡を望む本州の北端をめぐる旅情。硫黄のにおいに包まれながら湯の街を歩き、海の幸に舌鼓を打つ。「湯」と「海」で、身も心も解きほぐす「ゆかい村」。また食べたくなる新鮮な海の幸、また会いたくなる温かな人、また行きたくなる心のふるさと。
そんな「ゆかい」の村、風間浦村があなたを待っています。

下北ゆかい村とは

下風呂温泉 大湯

青森県風間浦村は、4つの源泉を持つ下風呂温泉郷をはじめとした温泉があり、また津軽海峡に面した土地は漁業が盛んで、「お湯と海の街」として発展してきました。「ゆかい村」とは「」と「」で、身も心も解きほぐしてもらいたいという意味をこめた、風間浦村の別称です。「ゆ」と「かい」には、“温泉”と“海”以外にも、以下の意味合いも含まれています。

「ゆ」=愉(愉悦、愉快:心から喜び楽しむ)、癒(いやし)、遊(あそぶ)、夕(夕陽)、優(やさしい)、雄(雄大)、悠(はてしなく)、誘(さそう)、湧(湧き出る)、友(ともだち)
「かい」=快(気持ちよい)、会(出会い)、回(まわる)、開(ひらく)、絵(絵のような)、皆(みんなで)、街(まち)

風間浦村について

風間浦村について

青森県風間浦村は、本州最北端の地、青森県下北半島の北西部で津軽海峡に面した海岸線に位置し、東西約20km、南北約8kmと細長い地勢に、総面積の約96%が山林・原野の自然に恵まれた地域です。東部と南部はむつ市に、西部は大間町に隣接し、北部は津軽海峡を隔てて北海道に面しています。
古くから豊富な水産資源を中心とした漁業と、下風呂温泉を活用した観光により発展してきました。

明治22年、下風呂、易国間、蛇浦の3つの地域からなり、独立した村だったものが三村を合併し、それぞれの地域から1字ずつをとって「風間浦」村が誕生しました。
東端にある下風呂は、往古より湯元と称され、硫黄泉の湧くこの地は古来より温泉地として知られてきました。藩制時代から、多くの湯治客を集めてきたところです。下風呂の名は、アイヌ語で「臭い岩」を意味する「シュマフラ」が由来と言われています。

風間浦村について

易国間は村の中心部にあり、旧称湯澤野と呼ばれていました。1445年前後下北におこった蛎崎の乱において、蛎崎氏が大陸より購入した軍馬兵糧を積載した船舶がこの地に着船したと言われ、そのことにちなんでやがて異国の澗と呼ばれるようになり、乱終結後の地名更改により改めて湯澤野を易国間に、湯元を下風呂に、蛇沼を蛇浦に変えたと言われています。
村の西端に位置する蛇浦は、蛇沼と呼ばれていましたが、先の地名更改により蛇浦の名に改められました。しかし、漁師たちはむかしからこの蛇の呼称を忌み、かつてこの地に製塩のための釜場があったことから、蛇浦の地名を嫌い釜谷の通称を用いていたと言われています。

文化人が愛した下風呂温泉

文豪・井上靖氏は、『海峡』の最終章を執筆するにあたり、「渡り鳥の声が聴ける」場所を探していたところ、知人に下風呂温泉を紹介してもらい、昭和33年3月9日に下風呂温泉を訪れ、2晩宿泊し、津軽海峡が見渡せる部屋で小説の最終章を執筆しました。
小説『海峡』は、雪の下北半島を舞台とした様々な人間が織りなす愛の交錯を描いた作品で、最終章では下風呂温泉が「いさり火」の見える温泉として紹介されています。井上靖氏の作品の中でも名作のひとつといわれ、風間浦村・下風呂温泉郷が世に知られるきっかけともなりました。

井上靖文学碑

同志社大学創始者の新島襄氏と下風呂温泉とのつながりは、1864年新島襄氏が函館へ向かうために乗っていた船「快風丸」が途中津軽海峡の激しい潮流と強い北風に遭い、それを避けるために下風呂沖合に寄港したことが始まりです。このことは『函館紀行』と呼ばれる航海日誌に本土最後の寄港地として書かれ、下風呂温泉が高名な温泉として紹介されています。また、実際に下風呂温泉の湯につかり、その感想を父・民治に手紙で伝えています。

風間浦村のお祭り

龍神祭

時期 8月27日
地区 下風呂地区

1884年から毎年8月27日に行われている勇壮な祭典です。漁船の海上安全と大漁を祈願して船団が大漁旗を翻し、津軽海峡の決まった場所で自由寺の僧侶が、龍神様に御礼を納めます。この祭典の面白いところは、船団の先頭となる『御座船』をくじで決めるところ。一番くじを引き当てた船は御座船となり、僧侶を乗せ先頭を走り船団を率います。御座船は一年間大漁に恵まれるという言い伝えがあり、くじ引きは真剣そのものです。

龍神祭

稲荷神社祭典

時期 10月10日・11日
地区 下風呂地区

稲荷神社祭典の歴史は古く、その歴史は1657年(明暦3年)にまでさかのぼります。村内で唯一の秋祭りは2日間に渡り賑やかに行われ、夜ともなれば、下風呂地区の家々に提灯が灯り、何ともいえない風情を醸し出します。圧巻なのが、2日目の『くるい獅子』。その激しい舞は迫力の一言。最後は全員で車座になりお囃子を演奏し、祭りが終わりを告げます。

稲荷神社祭典

八幡宮祭典

時期 8月
地区 桑畑地区

八幡宮は易国間字湯ノ上に鎮座し、1716年~1736年(享保年間)の謹請。運行される船山車は、郷土愛とこどもに希望を持たせたいと、桑畑小学校の父兄会で1957年(昭和32年)に新造船(明神丸)を作ったのが始まりと云われています。

八幡宮祭典

大石神社祭典

時期 9月
地区 易国間地区

大石神社は迫力いっぱい、「ヤレヤレヤレー」の威勢の良いかけ声とともに、襦袢姿の若者たちが船山車を引いて町内を練り歩きます。易国間の舟山は「おこし舟」(漁師型とも云う)という舟の型をまねて作ったもので、他の地区のものとは少し違っています。

大石神社祭典

折戸神社祭典

時期 8月
地区 蛇浦地区

蛇浦地区の折戸神社奥の院には産土神があります。奥の院の神様は女神様で、昔火事があったとき、空から火を消したと云われる伝説も残っています。例祭時、奥の院からの還座式は、厳粛に古式の作法で行われ、現代まで受け継がれています。祭は山車や子ども神輿、子どもねぶたが引かれ、暗くなるまで町内を練り歩きます。

折戸神社祭典